教育現場での一幕

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教育現場での一幕

学級崩壊と教員の対応

うちの嫁が付き合いのある方から聞いた話がなかなかシビレるものだったので、ご紹介します。
その人の長男(以下Aくん)は執筆当時小学2年生なのですが、その子のクラスが学級崩壊に近い状態なのだそうです。
どうやら原因になる子(以下Bくん)と、それを見て便乗する子(以下Cちゃん)がいるようで、その二人は好き勝手やっているらしいです。
実際、好き勝手やっているという表現は控えめ過ぎなぐらいです。
Bくんは、気に入らないからと言って、同級生の腕に画鋲を刺し、それを見てCちゃんは「今度は目に刺したろか?」などと言う始末。
正義感の強いAくんは、被害にあってる子を庇い、結局ターゲットになってしまいました。
それでもめげないAくんは、いつも立ち向かって行くため、事態はどんどんエスカレートしていきます。
流石に異変に気付いたAくんの母親がAくんに問い質すと、今までのことをボソボソと語り出したそうです。
冷たい言い方かもしれませんが、他人の自分でさえ、まだ小学2年生の子供が向き合っている現実の残酷さに心中穏やかではいられないのに、その時の母親の心境はどういったものだったのでしょう?
母親は学校に趣き、担任教師と話したそうです。
「知らなかった。注意して見ておく。」という淡白な反応から推測したとおり、事態は収束する気配すらありません。
再三担任教師と話すも、一向に改善が見られないので、Aくんの母親は(因みに父親は海外勤務中)教頭先生とも話したそうです。
その数日後、初めてBくんの親から連絡があったようで、「知らなかった。よく言っておく。」と、謝罪と共に述べたそうです。どうやら学校側は、BくんやCちゃんのご両親には伝えてなかったみたいです。
Aくんが今年いっぱいで父親の勤務地に引っ越すことが決まっているので、それまでやり過ごそうと思ったのかもしれません。
しかし、事態は一向に収束しません。
担任教師(数十年のキャリアを持つベテラン)曰く、「どうしていいかわからない。私にはどうすることも出来ません。」だそうです。
そんな教師の態度を察知して、BくんとCちゃんは更にエスカレートします。
授業を妨害し、教師を呼び捨てにして、相手構わずいじめます。
そんな事をしても怒られないとわかるや、他の児童も追随します。
学級崩壊です。
見かねたAくんの母親は、教育委員会に相談しました。
最初は緩慢な態度だった教育委員会も、「これ以上対応して頂けないのなら、世間に訴える。」の一言で慌てたようです。
その結果、問題児童の隔離とAくんの転校手続きが行われたそうです。
残り数ヶ月で転校。
Aくんは気丈に振る舞ってはいますが、どうも体調に異変を来したようです。
体調もさることながら、自分が気になっているのは、まだ幼い彼の目に世の中がどう映っているのか、です。

< — UnsplashCash Macanayaが撮影した写真 — >

教育と社会の相関関係

自分の場合、小学校3年生の頃疑念を持ち、4年生の頃には確信に変わり、5年生になる頃には決意となっていました。
「何かおかしい。」
「間違っている。」
「これからは自分が思う正しさを探して行こう。」
といった具合です。
最初に持ち始めた疑念は学校教育と言うよりは、教師に対するものでした。
子供は漠然と大人は正しいと思っている節があります。
それは恐らく大人、特に親の持つ強制力に起因しており、知らず識らずのうちに刷り込まれて行くもののように思われます。
しかしいつの日か、大人だって間違っていると気付く日が来ます。
自分が子供の頃に気付いたのは、教育者として相応しい人間が教職に就くのではなく、教師になろうと思った人が教師になるという事です。
その中には、志の有る人も無い人も、相応しい人も不適合者も含まれます。
これはあくまで自分の経験上の話ですが、教員の多くは学生から教員になることで、ある種特殊な「学校」という世界しか経験しておらず、社会の実情に対する認識が一般的な社会人と比べて欠如している人を多く見てきました。
当然、全ての教師に当てはまることではないですし、前述の学校の対応が消極的な理由の一つに保護者の存在があるのも事実でしょう。
難癖をつける保護者が増えた今、思い切った行動も取りにくいことと思います。
だからといって子供の未来を潰していい理由にはなりませんが…

とある有名な社会実験で検証された事ですが、人はある母集団の中で一定の権限を与えられると、その母集団の中に於ける自身の立ち位置を上位と捉え、権威的になるそうです。
学校内に於ける教師の立場もこれに近いのではないでしょうか?
指導的立場にいる大人が、未成熟な子供たちに囲まれて長期間過ごすうちに、独特な世界観や自己評価、価値観などが構築されていくような気がします。

しかし、これは学校だけの話ではないと思います。
親というもっと身近な大人の持つ影響力の方が、むしろ大きいと言えます。
そもそも教育の原点は家庭です。
しかも、親は子供に対して絶対的権限を有しています。
親が見せたいものだけを見せ、親のやらせたい事だけをやらせ、親の連れて行きたい所にだけ連れて行き、親の着せたいものだけを着せる。

子供は一度も親になったことはありません。
しかし全ての大人はかつて子供でした。
不思議です。
子供が親を理解しないのは当たり前ですが、なぜ大人は子供を理解しないのでしょう?
自分が子供の頃、目に映っていたものや感じたことを忘れてしまったのでしょうか?

子供には子供の社会性があると思います。
それとは別に、実社会が存在します。
子供の限られた接触範囲と情報源に於いて、社会の実態を垣間見る事が出来るのは、身の回りの大人たちを通してなのだと思います。
大人たちが建前上良い事や理想ばかり伝えれば、子供たちがやがて成長し社会に出た時に、その乖離の大きさから絶望したり挫折したりすることもあるかもしれません。
しかし、社会の悲惨な側面ばかりを強調すれば、未来に期待できなくなるかもしれません。
ただ事実として、かつての自分達がそうであったように、子供たちが次の大人になり、親になり、指導者になり、教育者になります。
そして自分達が与えた教育と社会基盤によって出来上がった人格が、次の子供たちを導くのです。

その果に広がる世界が素敵なものであることを願って…

< カバー画像 — UnsplashJonas Jacobssonが撮影した写真 — >

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