グローバリゼーションとは?

地図とお金
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グローバリゼーションとは?

世界規模経済とその実態

別の記事でも触れましたが、アメリカで端を発したインフレが、世界中に混乱をばら撒いています。ドルが基軸通貨であるが故に、アメリカ経済が世界に与える影響は無視出来ません。
ロシアのウクライナ侵攻による社会不安が市場経済に与える影響もまた、長期化する程広域に波及しています。
その一方で、半導体不足による生産調整が自動車産業を中心に世界規模化しており、それに伴う品不足と価格高騰が蔓延しています。(本記事執筆当時)

人、モノ、情報などが世界中で密接に繋がっている現代の世の中に於いて、遥か遠くの国の出来事はもはや対岸の火事ではないようです。
”風が吹くと桶屋が儲かる”といったことが、世界規模で起こっています。
国境を越えた経済活動が相互作用し合って複雑に絡み合い、現在の世界規模経済を形成しているのです。

実際私達が日常目にする品々の多くに、”Made in China”とか”Made in Vietnam”などの文字が見られます。
日本はかつて自身の手で行っていた紡績や食品加工などの製造工程を、比較的安価な労働力が得やすい海外に委託することで利益を得、企業と経済を成長させてきました。
産業の地球規模化、”グローバリゼーション”です。
それは日本だけの話ではありません。
国際的な枠組みを越えて、地球規模化が進む文化的、社会的、経済的活動。
”インターナショナリゼーション”ではなく”グローバリゼーション”。
聞こえは良いですが、その実態は強者の論理に基づいた搾取の構図だと思います。

手の上で光る地球儀

UnsplashGreg Rosenkeが撮影した写真

グローバリゼーションの弊害

旧ソビエト連邦崩壊と共に加速度的に広がった資本主義的思想と自由貿易圏が、世界を一色に染め上げようとしています。
新自由主義という衣を纏った無規制資本主義、利益至上主義です。
「金を儲けて何が悪い」というヤツです。
国という規模ではなく世界を一つの経済圏とみた時に、農家の役目を担う国や地域があり、その生産品を運搬する者、卸す者、調理して提供する者、消費する者がそれぞれ存在します。
同様に、電化製品を作る者、その原材料を調達する者、自動車を作る者、布を作る者、それを使って服を作る者、その事業に出資する者なども居ます。
市場規模を世界化することにより、各役割の従事者に雇用と利益が生まれるからみんなハッピーでしょ?といったところでしょうか?
しかし、ミクロ経済をマクロに当て嵌めても上手くいくものではありません。

ゲーム理論に基づくこの社会構造では、搾取の構図が決定付けられます。(ゲーム理論に関しては機会があればお話します。)
搾取する側は、元々貧しい国に産業と雇用を産み出し、その副産物も含めてその国の発展に貢献していると主張するでしょう。しかし本音は労働力を安く、原材料や加工費を安く手に入れる恩恵に与りたいのであって、経済発展による賃金相場の上昇など望んではいないのです。彼らにとってはあくまで、安く使っていい人達なのです。
搾取される側としては複雑です。企業誘致や海外取引により、新規雇用と外貨獲得が望めます。買い叩かれて、それを拒否して、相手がヘソを曲げて「じゃあ他所行くわ」などと言われた日には、手元に何も残りません。手を組むしかなさそうです。
その結果、平均所得の低い国や地域では脱却困難な連鎖が起こります。貧困層の家庭では、働けど働けど暮らしは楽になりません。労働に対する報酬が低水準だからです。食べる物にも困るようであれば、子供だって労働に駆り出されます。個々の収入が低いと、その行政機関の歳入も低くなります。学校どころかインフラさえ不十分な環境もあります。そんな地域の子供たちは、毎日毎日長い時間を掛けて遠くまで水を汲みに行きます。ペットボトルの水を飲む私達の目には泥水にしか見えない水をです。学校に行くなんて時間的にも経済的にも許されないのです。
こうして育った子供たちはまともな教育を受けなかった為、高所得を期待出来るような知識や技術を必要とする仕事に就く事や、劣悪な環境を変える事のできる立場に就く事が困難になります。仕方なく、低賃金労働に従事します。そして新たな貧しい家庭が生まれます。無限連鎖です。

カメラに集まる子供たち

UnsplashLarm Rmahが撮影した写真

安い労働力を求めて製造、生産工程を海外に移した結果、国内に於ける第一次、第二次産業従事者が減少します。そしてこれが産業の空洞化、つまり国内生産能力の著しい低下を招きます。
ライバル企業はもはや国内に留まらず、多国籍企業間での競争が苛烈になり、その結果が非正規雇用の増大にも繋がります。

横綱とちびっこ力士

人が増え、情報網や物流が発達した近代社会に於いて、経済規模のグローバル化は避けては通れない道だと思います。しかし、競争力の無い相手も無理やり同じ土俵に上げて、強い者がが勝つべくして勝つような今のやり方はまるで、横綱が小学生のちびっこ力士を全力で投げ飛ばして、「はい、俺の勝ちぃ」と言っているのと等しいように、自分の目には映ります。

グローバリゼーションと言うからには、市場も世界規模で考えるはずです。
例えばもっと車を売りたいとします。現時点では購買層に成り得ない貧しい地域の人達の生活水準が上がり、車が買える程の余裕が出来、ガソリンスタンドや道路が整備されれば、新たな顧客と市場が生まれることに繋がるのではないでしょうか?
車に限った話ではありません。将来的な自社の売上基盤を、社会支援しながら築いて行く。必ずしもボランティアである必要はありません。むしろ事業としての方が継続性が高いと思います。適正価格の支払いが、それを可能にするのではないでしょうか?
物価の低い地域の人だから安く使ってもいい、ではなく、ましてや優劣でもありません。
見合った価格や見合った報酬というものを、今一度考えるべきだと思います。

世界的文化水準の向上は、案外他の悩ましい問題も片付けてくれるのではないかと期待出来ます。
文化水準が上がれば、出生率が下がる傾向にあります。出生率の低下は、世界人口を減らします。人口が減れば消費エネルギーや廃棄物、二酸化炭素排出量、摂取食物量などが減ります。
また、教育が浸透、充実することで、埋もれていた知性があらゆる方面の発展を加速させることになるでしょう。

そんな未来こそが本来の”グローバリゼーション”だと思いませんか?

カバー画像

UnsplashChristine Royが撮影した写真

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