日本の衰退 〜企業編〜
日常から見る経済活動
前回、「日本の衰退〜金融市場編〜」でも触れましたが、世界経済における円の価値が、相対的に低下しています。
それはすなわち、国際社会における日本の国力や競争力の評価が低下していることを意味しています。
かつては世界第二位の経済大国と言われた日本がなぜこうなったのか、いろいろな面から考察していこうと思います。
今回は、企業とその経済活動という側面から切り込んで行きます。
筆者自身の話になりますが、技術系の会社を営んでおり、その関係で日本の名だたる企業と接する機会に恵まれています。
経験上、大きい企業の方がコスト管理意識が高い印象を受けます。
長いデフレ経済の中で、コスト低減に対する上からの圧力や教育が徹底していった結果なのだろうと思います。
資本主義経済の基本は、安く仕入れて高く売ることなので、それ自体をとやかく言うつもりはありません。
しかし、適正価格の概念が失われ、額面の多寡のみで話が進んでいく傾向を強く感じます。
これが1つ目の間違いです。
顧客の要望を聞いたうえで、それなりの精度とそれなりのシステムを実装する必要性が有ると判断した場合、当然ながらそれなりのコストになります。
それを安価に済ませたいのであれば、本来なら何かを妥協しなければ実現しません。
従って正しい対応は、全ての業者が「その値段でその内容は無理です」と答えることのはずです。
ところが、そうすると大抵、仕事欲しさに、「無理じゃね?」という値段を提示する業者が現れます。
これが2つ目の間違いです。
結果から言ってしまうと、そうした業者が納品したものは、本来の要求精度を満たしていなかったり、耐久性能が低かったり、使い勝手が悪かったり、最悪まともに動かなかったりといったケースをよく見かけます。
しかし、発注する側は、そこまで精査することなく金額のみで決めてしまうことがほとんどです。
「前回安物を買って失敗したな」と学習してくれれば良いのですが、大抵のケース、使用者側の要望は購入を決める部署には届かず、同じ事が繰り返されます。
そんな事を繰り返しているうちに相場感覚がイカれてきて、そのうち「メルセデスの新車を200万円で売ってくれ」みたいな事を言い出すようになります。
これは、頻繁に発覚している試験結果の捏造やデータの改竄等の不正行為の温床にもなっていると思います。
設備投資をケチったが故に、まともなデータを吐き出さない試験機を使用する羽目になったり、コストカットに対する意識の高さの弊害として、データとその精度の重要性に対する認識が、会社単位で欠落していたりといった事が、日常的に蔓延しているように見受けられます。
そして、こうした事の積み重ねの上に構築された社会構造が、日本企業の体力、技術力、開発能力、競争力を奪っていく元凶なのだと思います。
国内産業の現状
最近、某有名メーカー(QRコードを産み出したアソコです)の開発関係部署にお邪魔してきました。
そこには、開発されたものをテストしてみて、性能等を評価するための試験装置がたくさん設置されているのですが、その光景に少々驚きました。
しばらく見ない間に、某ドイツメーカーの装置ばかりが並んでいたのです。
そのドイツメーカーの製品は、品質が良い分値段もそれに見合っていて、決して安くはない(いや、むしろ高い部類)です。
また、アフターサービスの単価も高額なので、ランニングコストも高めです。
先程少々驚きとは書きましたが、実はこれ、最近良く見る光景ではあります。
冒頭で述べた通り、我々のような国内企業に対して仕事を発注する際、ギリギリ、場合によっては不当だと思えるほどの値引き要求があります。
値段に折り合いがつかなくて、話が流れることもよくありますが、それを繰り返していると仕事は無くなり、声も掛けてもらえなくなります。
「どうせアソコに頼んでも無駄だから」といった具合です。
今後に繋がれば、という思いで採算割れの仕事を受ける企業も有ることでしょう。
しかし、その繰り返しが業界全体の市場相場を低い水準に引き下げていきます。
その結果、企業の財務状況が逼迫し、開発、教育、育成、設備投資などの未来へ向けた戦略を取りにくくなります。
優秀な人材を雇う、若しくは育てるにはお金が掛かります。
未来に向けた商品開発は、すぐに売上には結びついてはくれません。開発費を回収できる保証だってありません。
それを避けていては将来的に危ないのはわかっていても、今日を乗り切って従業員に給与を支払う方が先決です。
原材料費はかなりの頻度で値上がりする一方、それを転嫁するどころか盲目的な値下げ要求です。
コストが上がり、売値が下がり、体力も技術力も失われていきます。耐えきれずに倒産するところも増えていきます。
そんな中にあっても、発注元である大手メーカーたちは、現行若しくは未来における最先端分野の研究開発も行っています。
そうした最先端分野では、既存の技術では対応できないものも多々あります。
システムはより複雑化して、高い技術力が要求されます。
その分高価になるのですが、先述の通り、体力も技術力も失った企業には、対応が難しくなります。
こうして売上単価が高い成長分野の仕事は、「他に頼めるところを知らないから」といった理屈で、海外企業などにほぼ言い値で発注します。値切ろうものなら、「じゃあ売らない」と言われかねません。
3つ目の間違いです。
国内企業には何故か強気で、値下げを強いる事で弱体化させ、海外企業には何故か弱気で、利潤と日本の最先端技術に触れる機会を提供するのです。
そしてそれが更なる格差を産んで…といった具合です。
これが、自分が日常的に目にする国内産業とその衰退の現状です。
産業の衰退と購買能力の低下
国内産業の衰退が及ぼす影響は、競争力の低下だけではありません。
カツカツの経営を強いられている企業に務める人たちの給与は、なかなか上がっていかないでしょう。
しかし、報道によると、大半の販売物に対する原価上昇分の価格転嫁は完了したとのことです。
「日本の衰退〜金融市場編〜」でも触れましたが、これが実質賃金の低下を招いています。
そしてそれは、購買能力の低下を意味しています。
ちょっと前まで200万円台で購入できた車が、400万円台になってたりします。
その車を作っているメーカーは、自分たちに値下げを要求してきて、より高い車を買ってくれと言ってきます。
「はぁ?」ってなります。
大きい企業の社会的責任は、それに比例して大きくなります。
必然です。
それが受け入れられないのなら、端っから大企業なんて目指すべきではないとまで思います。
従業員数や関連企業数が多くなればなるほどその影響力が増しますし、市場規模が大きくなればその分、経済や生活に与える影響も大きくなります。
企業の買い叩く姿勢が、行く行くは自社製品の市場規模を縮小させる事に繋がるという自覚を持つべきだと思います。
日本の技術力や競争力を奪っているのが、自国内における消費活動だというのは皮肉な話です。
自称 ” ジャパンラヴ ” な某経営者が日本を殺しに掛かっているのは笑えません。
消費活動の低迷によってそれらの大企業もダメージを受けていれば、事態も少し違った側面を見せていたのかもしれませんが、生憎、それらの企業は絶好調です。
円安の影響から空前の利益を産み、その業績が株価を牽引しています。
ここにもいろいろなからくりが有るのですが、そのからくりについては次回、「日本の衰退〜政策編〜」で触れることにして、ここでは円安と株価に焦点を当ててみようと思います。
円安と株価
本来円安は日本経済にとってプラスに働くとされています。
実際に何が起こるのか見ていきましょう。
日本は資源の乏しい国であるために、多くの原材料を輸入に頼っています。円安の状況下では、仕入れコストの増加に繋がります。
その一方で、輸入した原材料を元に製品を造り、それを輸出することで外貨を獲得します。
国内販売における仕入れコストの増加は、販売価格の高騰に繋がります。
販売価格400万円、原価率50%の自動車があるとします。
仕入れ原価のうち50%は輸入資材です。つまり100万円になります。
この自動車を販売した時の粗利は50%、すなわち200万円です。
ここで1ドルが100円から150円になったとします。
今まで100万円で購入できた原材料に150万円支払うことになります。
原価200万円だった自動車の原価が250万円になるわけです。
粗利50%を守るなら、自動車の販売価格は500万円になります。
若しくは、利益率を圧縮して販売価格を維持するなら、12.5%の減益ということです。(図1)
図1 円安時に自動車を国内販売した場合
では、同じ自動車を輸出しているケースを考えてみましょう。
販売価格400万円は1ドル100円で換算すると4万ドルということです。
原価や粗利に対する考え方が同じだとした場合、同じ粗利率を維持した販売価格である500万円は、1ドル150円で換算すると33,333ドルとなります。
同じ販売価格を維持した場合、4万ドルは日本円換算で600万円となり、その粗利率は58%強となります。(図2)
図2 円安時に自動車を国外販売した場合
販売台数1台当りの利益が増えるか、「日本車は性能の割に安い」と評価されて、販売台数が伸びるかが期待できる状況です。
工業製品を輸出しているような企業の好成績が見込める状況下では、それらの関連企業も含めて株価が上昇します。
上昇期待値が高い株式に加えて、円安によるお買い得感から、外資も集まるでしょう。
こうして利益と資本が増える事によって、企業の開発力や競争力が補強されて、より強固な経済基盤が築かれます。
” 本来なら ” …
成長と分配の好循環?
「日本の衰退〜金融市場編〜」でも触れましたが、日銀が長年続いた金融緩和政策を修正するようです。
企業の春闘の結果が満額回答だった事や、名目賃金の上昇などを判断材料として、”成長と分配の好循環”の兆しが確認できたからだそうです。
労働組合を持つ規模の会社しか眼中に無いということでしょうか?
先程、”円安が本来なら日本経済に有利に働く”と述べたのは、ここで言うところの”分配”が伴った場合の話です。
企業の上げた利益だけではなく、税金によって集められた税収にも言える事ですが、分配が行われなかった、若しくは分配が偏っていた場合、本質的な好循環とはなりません。
企業で言えば賃上げや設備投資、税金で言えば公共サービスの拡充や公共事業など、経済活動の活性化や何等かの形での利益還元があって初めて、本当の意味での好循環に繋がります。
しかし実際には、利益が内部留保に回されたり、株式配当などの形で一部の特定層にしか還元されなかったり、税金が無駄遣いされたり、一部の人達を潤す為に使われたり…
これが4つ目の間違いです。
タチの悪いことに、このように使用されたお金が一部の経済指標を底上げしてしまうので、今回のように景気が上向いているといった判断に繋がってしまいます。
実態を伴わない、一部の人にしか還元されない、見せかけだけの好景気に基づいて行われる経営判断や政策決定は、全体社会にとって厳しいものになる可能性があります。
つまりこの状況を更に危機的なものにしているのは、表面上の数値が良くなることによって、問題の本質若しくは問題そのものを見え難くして、変革のチャンスを失う事です。
今までの戦略が功を奏したと判断されれば、今の日本は変われません。
過去最高規模の税収や、たんまり溜め込んだ内部留保を効果的に使えば、かなり大規模な改革が可能なはずですが、実際には、効果的な経済政策や経営改革は望めなさそうです。
それどころか、より一層、上級国民と平民を分断する方向に進んでいるようです。
そこら辺の政策についてや、特定企業が肥大化していくからくりについては、次回、「日本の衰退〜政策編〜」で掘り下げて行こうと思います。
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